ベルト・モリゾ展

まりまりにチケットもらったので、行ってみた。損保ジャパンの美術館で、初めて入った。新宿のビル街をくねくねくぐりぬけて、コクーンタワーに度肝をぬかれ、エルタワーのL字を横目に損保ジャパンのビルはおっきかった。
入ってみると予想外にも大盛況で驚いてしまった!若者向けの美術館にばかり行っていたので、観客層のあまりの違いさにも驚いた。おばあちゃんおじいちゃんの多いことといったら!でも老若男女はいいことです。
ベルト・モリゾも女性ということで苦労していた人でもあったみたいです。おいそんは男性だと思っていたらしく、びっくらこいてたけど、この時代のモネ、マネ、ルノワールとかみんな男性で、男性であることが前提となってしまっているのには、しかたないと思いながらも、女のたこちは悲しいことだと思ってしまいます。そんなこと言いながらも、フランク・ステラが女性だとつい2ヵ月前に知ったことだったので。
作品はというと、ほとんどと言っていいほど、娘ジュリーを描いていて、そうでなくても女性か少女といった、男性でなくて、女性から見た、そして母親の目線から描かれたものは、どの絵画でも常に感じるような陰の部分がなく、部分的には筆跡が早くて荒いように見えるのに、全体を眺めると、まあるくキッチンの白熱灯のように暖かくつつんでいてあげるように感じられた。夫を描くことが娘に比べてここまで少ないのは、夫婦は血が繋がってないけど、母娘のが繋がりが糸が太くて頑丈なのだと思った。
最近思うのだけど、娘か息子だったら、絶対娘のがかわいくてしかたなくなると思う。男の子はほっといても育ってけばいいかなと思うけど、女の子は大切にしたいと思ってしまう。実際男の子でも絶対かわいがるとは思うけど。
男性の描く女性、裸婦は、少なからずも、性が含まれてしまうもので、そういうものばっかり観てきて、たこの描くときの裸婦画はどうしても匂いが感じられないなぁと思っていたけど、今回ベルト・モリゾの裸婦画には、本当に引き込まれて、目指してたのはこれかもって思った。裸の少女は、性の匂いではなく、純粋に肌に当たる光の陰影の美しさ、少女に対する愛しさ、慈しみ、母性愛、なんかが溢れてて、今まで感じたことないような感じで、焦った。
今月は、ヌードデッサン2回控えてるから、すごく楽しみになった。油絵でも描いてみようと思う。
まりまりに感謝しないと。券もらわないと行かなかったから。最近は、現代美術にばかり目がいってしまい、そういうのをおっかけて観て回ってたけど、巨匠と呼ばれる人たち、ゴッホとかセザンヌとか、(常設展にひまわりと、りんごの作品あった)そういう人たちの、良いとされる作品たちも図録や作品集だけで終わらせないで、実際に観て感じないとだめだなと改めて思った。美術史のm先生は常にそう言ってて、図録買って2回は行かないとだめだっていうのも、まんざらではないと思う。
絵を真剣に描きたいと思う契機になった。

先輩夫婦の子どもが生まれた。女の子だって。すごいかわいんだろうなと思う。さっそく赤ちゃんの服を考えようと思う。

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